【後編】お互いの「その人の世界」に降り立ち、新しい世界と接点を持つためにできること
「障害のある人×生涯学習」をテーマに、さまざまな事例や活動を持ち寄るシンポジウム。後編は、第1部と第2部をふまえたオープンディスカッションの様子をお伝えします。多彩な人々から語られる言葉には、これからを考えるヒントがあふれていました。
(前回の記事はこちら → 【前編】お互いの「その人の世界」に降り立ち、新しい世界と接点を持つためにできること | NPO法人リベルテ https://npo-liberte.org/blog/2676/ )
第3部:オープンティスカッション

関係性の「自然」を取り戻す
今回のイベントを運営するメンバーから3人が登壇して、第1部と第2部を振り返ります。まずLearn by Creation NAGANOの実行委員でもある西山さんが参加者との休憩中の雑談で「(紹介された事例は)自然だよね」という言葉が出てきたとを話します。人工的な制度やモノに囲まれて、その自然さを忘れたり見逃したりしている可能性に触れ、第1部と第2部で自分を主語に語った取り組みの“自然さ”にフォーカスしました。「今日の話は自然状態をいかに取り戻すかだと感じました」(西山さん)。
武捨さんは、このイベントで初めて導入した「UDトーク」(話している内容をリアルタイムで文字情報にするサービス)に触れました。「事前に、専門性が高い言葉を使うとUDトークが機能しないことが分かりました。単語ひとつ届けるだけでこんなに大変ということは、これまで自分が発信していたことをそもそも受け取れなかった人たちがいっぱいいたということに思いが至りました。自分たちの体験をどう表すのかも大事だと改めて思いました」。
藤原さんは、第1部で出た「働くの対義語は孤立」がいちばんのパンチラインだったと振り返ります。「第1部は出会いが学びに置き換えうるという話で、第2部では村上さんが学びを一旦“クラッシュ”してくれたのがよかったです。出会いは出会いであって、それ以上でも以下でもないから、出会いが役に立ったかという風には考えたくないと思いました。そして、どうやって出会っていくことが可能かという時に、逆に学びという言葉が装置として機能することもあると感じました」。

さまざまな人が心に湧きあがった言葉を語る
会場の参加者に感想を尋ねていきました。
上小圏域基幹相談支援センター 橋詰正さん
「今日語られた話はいずれも本来なら“ノーマル”な話です。そのノーマルを王道にしていく道筋を僕たちはどうつくっていったらいいか? 文書と決裁で決まっていく行政組織の中にどう伝えるのか? ここにいる私たちの宿題になると思います」
信州アーツカウンシル 野村政之さん
「県内企業にヒアリングに回った時に、ある企業から『障害者アートを障害者雇用に応用できませんか?』と聞かれたことがあります。受け入れ側の課題をアートのワークショップなどで乗り越えられないかという問題意識が背景にあってのことです。さらに別の場で、障害者を雇用する企業としてもがんばりたいけれど、企業と家庭だけでは支えきれないから、地域社会の日常の中でいろんな関係性があってほしいという経営者の思いも聞いてきました。そこに障害のある人×生涯学習を当てるとぴったりきます。学びはそれぞれの人の中で起きる発見や気づきで、生きやすさをもたらしてくれる。一見アートに見えないような日常の営みの中で学びの機会を見つけていく様子を今日知り、私の学びになりました」。
エイブル・アート・ジャパン代表 柴崎由美子さん
「エイブル・アートは“可能性の芸術”という意味の造語で1973年に奈良で生まれました。私たちは『ありたいかたちを願って』を大切に活動する中で、社会教育系の人から『エイブル・アートがやっていることは社会教育です』と言われたことが大きなヒントになりました。社会教育は学び手が学びたいかたちを自ら考えて実現していくプロセスで、エイブル・アートの活動はまさにそれに当てはまります。とはいえまだまだ、当たり前に人として学ぶ・遊ぶ・働く権利が実現できているとは言いがたい。実現していくには行政とNPOなどの民間が常にいい均衡を保ち、押したり引いたり“綱引き”している状態が理想的です。自ら声を上げにくい人と制度をつくっていくには、自ら選んだ政治家と制度や計画をつくる戦略性も必要。上田市にはとても充実したコミュニティがありますね。長い付き合いのある武捨くんがいい仲間に囲まれて活動している様子を見て、胸がいっぱいになりました」。
キュレーター、プロデューサー 田中みゆきさん
「障害のある人と15年ほど活動をともにしてきたので、今回のイベントは『障害のある人×生涯学習とはどういうことだろう?』という疑問と好奇心を持って来ました。最近手がけた、引きこもりの人とのアートプロジェクトでは、相談のハードルを下げるために周囲の自治体と協働し、さらに相談員も一般の参加者として入るようにしました。そこで、支援する側の相談員よりも、被支援者である当事者がよりすごいものをつくるといった豊かな“逆転現象”が起きました。第1部の話を聞くうちにその現場のことを思い出して、学びとはふだんの役割を超えて出会い直す、関係をつくり直す場なのかもしれないと思いました。第2部では、こんなにいろんな活動が上田で生まれているのはなぜか、興味をかき立てられました」
犀の角代表 荒井洋文さん
「(田中さんの問いへの応答として)コロナ以降、さまざまな団体が連携して犀の角を拠点に『のきした』という活動を行ってきました。そのひとつであるやどかりハウスの相談は、犀の角のカフェスペースで行われています。その脇で聞くともなしに聞いている人がいる様を見ていて、すごくいい“場面”に立ち会っている感覚を持っています。同じように、ここにリベルテの人が来て一緒につくる、イロイロ倶楽部の子たちがわいわいしている景色もあります。こんな風に、主体的かつ1対1の関係があり、具体的な空間と相手が目の前にいるという“場”が担保されていることが、その理由のひとつだと思います」。
上田市議会議員 斉藤達也さん
「バスの障害者運賃が50円値上げになるのを『それは困る』と当事者が議会傍聴に行くようになったという田口さんの話から、上田市の動きを考えても、行政の計画にこういった感性を盛り込んでいくことは大事だと改めて思いました。また、立場から会話がはじまると自然さが失われることも感じています。先日、高齢者福祉に携わるケアマネジャー、行政の担当課の人たちとごくふつうの飲み会をやったら、自然体で話ができました。リベルテの文化事業に行政の人も加わってもらうアイデアもそうだし、そういうところからはじめないと、綱引きにもならないんじゃないかと思いました」。
長野県会議員 佐藤千枝さん
「今33歳になる私の子どもは障害者です。0歳から地域の中で育てる子だと思ってやってきて、地域でつながることの大切さを感じています。視覚障害のある私の友人から以前、生涯学習のプログラムになぜ障害のある人向けのものがないのか、と言われたことがありました。行政にも伝えたけれどなかなか実現できない現状があります。行政と関わりながら進めていくことが課題だと思って聞いていました」。
長野県社会福祉協議会 福澤信輔さん
「障害者の生涯学習は、昨年10月まで文科省でまさに推進するひとりとしてやっていたところです。その中で、生涯学習は障害者も含めて誰でも享受されるべきものなのに、されていない現状をどう考えるか突きつけられました。新しくつくるのも大事ですが、すでに福祉や地域にある活動を生涯学習として捉え直すことも重要です。人と出会う場があるだけで、コミュニケーションの中でお互いの価値観から学ぶこともあるし、当たり前にある『知りたい・見たい・聞きたい・やりたい・生きたい』が生涯学習につながっていくんじゃないでしょうか」。
リベルテメンバー 最越あるとさん
「自分がいろんなものと関係があるということを忘れちゃいけないなと思いました。自分には関係ないと思ってしまうと、拾える情報も拾えなくなるんじゃないでしょうか」。
Learn by Creation NAGANO 佐々木巌さん
「今日のイベントを受けて、これからの僕たちの活動の目的を『障害を持つ人の生涯学習』と限定するのは違うなと感じました。なぜなら、ひとつの目的に依存させると途端に窮屈になったり、プレイヤーが限られたりするからです。これからやろうとすることは、障害を持った方の生涯学習という側面もあるし、子どもの初めての表現の場、高齢者の学び直しの機会など複層的に目的が重なりうるので、実装していく時の座組も複層的にしたいですね」。
佐久市在住 谷口絵美さん
「私は佐久市で、障害者のグループホームをつくろうとしているところです。私自身もASD(自閉スペクトラム症)当事者ですが、『そう見えない』と言われることも多くて、健常者にも障害者にも入れないと感じています。今日のイベントは障害者とうたっていますが、私のようなグレーゾーンにある人の上田での現状などを教えてほしいです」。
学びのイメージを更新していく

谷口さんの発言は、障害のある人と掲げたイベントの中で「私はここにいていいですか?」と投げかける根本的な問いでした。武捨さんが答えます。
「今日のこの場にもそういう方がいるかもしれないし、いないかもしれない。ニューロダイバーシティという概念では発達の特性は誰でもあると言われていて、本当はひとりひとり違う認知で世界と相対しているのに、学校教育のように一律の枠組みの中に入れられて苦しむ人はいます。僕はADHD的な部分があって生きづらいと感じることもあるけれど、何とかやってこられている。そういう人は地域を問わず少なくないんじゃないでしょうか。誰もが『私は私』でいられて、障害があることを言わなくても体験を積める座組が必要だと思います。
今回のイベントについても、障害のある人と明言しないと届かない人もいるというところから出発しています。僕たちがリベルテの取り組みのど真ん中に捉えて“えこひいき”してきたのはいわゆる障害のある人たちで、社会モデル*に照らせば「誰かと誰かの間」という関係性の中で起こっているものが障害になるので、今回はド直球にやってみようと思ってこのタイトルにしました」。
黒人に対する暴力や構造的差別の撤廃を訴えるBlack Lives Matter運動が起きた時に、カウンターとしてAll Lives Matterという言葉が生まれました。すべての命は大切ということに疑いの余地はありません。しかしその言葉は、黒人差別の歴史と、いまだに命を脅かす黒人差別が存在する現実から目を逸らさせると批判が出ました。
障害のある人×生涯学習にも同じことが言えます。生涯学習は誰にとっても大切ですが、障害のある人×生涯学習と設定しなければ見えてこない景色が確実にあるからです。そこを踏まえた上で、どのような心躍る景色をつくっていくのか――。第3部後の交流会で、参加者と登壇者が入り混じって熱心に話し込む姿こそが、その道筋の出発点になるのではないかと感じました。
社会モデルとは
障害は、個人の心身機能の問題ではなく、社会のあり方によって生み出されているという考え方。その反対の概念が「医学モデル」で、医学的に診断された障害が本質であり、治療によって社会に適応できるように解決しようとする考え方。障害については、かつては医学モデル中心だったが、近年は障害者権利条約をはじめ社会モデルを反映したものに変化している。
イベントが終わって数日後、武捨さんとイベントについて話す機会がありました。
「障害のある人の学びについては、『経験が足りないから○○してあげよう』というニュアンスが入ることがあって、そこで言われる“経験”や“足りない”はどこまでいっても健常者目線なんですよね。では、在宅で24時間介護を受けている人が経験している世界からの「学び」って何だろう? と思うんです。さまざまな障害のある人それぞれの経験があるはずで、『標準的な体験』や『体験の不足/十分』といった“指標”は意味を失います。望むことや関心、認識している世界から個々の経験をオープンダイアローグすることで、話す人と聞く人が入れ替わりながら相互に社会化されていく。それを学びと言えたら、学びのイメージは変わるんじゃないかと思っています」。
第2部の発表の中で、リベルテの活動を通して学びのイメージが変わる様子が図で表現されていました。枠組みを設定した場に個々人が集まる学びのイメージが、個人を中心に同心円状に広がる波紋が相互に重なり合う、まったく真逆のイメージへと変化します。限定された場も中心もなく、あるのはあくまで個人を出発点とした相互的な関わりです。



ある限定された状態・場が学びなのではなく、生きることはすべて学びというところから出発し、それぞれの日常の中に細かく散りばめられている新しい世界との接点をともに見つけていくことを学びと呼びたい――。そのように意識を更新していくことで、世界はまったくちがう色を放ち始めるはずです。
この記事は、当日語られたことをまとめたものであり、すべてを記してはいません。語られた量はあまりに膨大で、どの言葉が助けになるかもまた無限の可能性があります。公開されている当日の動画も見ていただいて、あなたの助けになる言葉をぜひ探してみてください。
取材・文/くりもときょうこ(wandervogel)